グローバルヒストリーのなかの近代歴史学

平成26-28年度立教大学学術推進特別重点資金(立教SFR共同プロジェクト研究)

近代日本の偽史言説レジュメ(第1部)

第1部:神代史という伏流

 

 

三ツ松誠

神代文字と平田国学

 漢学隆盛の江戸時代後期に在って、日本の古典をこよなく愛した本居宣長は、我が国の古代を精神面で回帰すべき理想境として位置付け、それが中国的要素によって堕落せしめられたのだと説いた。「道」、暦、そして文字、いずれも現在用いられているものは中国から流入したものなのであり、宣長はそれらがなかった時代の日本を評価する。そんなものが無かろうと日本はそれで充足していたのだ、というのが宣長の立場である。

 平田篤胤宣長の没後門人を自称したが、かかる宣長説に満足できなかった。彼は海外の古伝説をも読み込んで我が国こそが全世界の文化の発祥地であると唱え、漢字渡来以前の日本固有の文字、神代文字の実在をも訴え、それなりの追随者を生み出す。しかしその神代文字の姿は、篤胤の主張とは逆に、ハングルからの剽窃を疑われるものであった。

 宣長が時に近代国語学・国文学の祖と目されるのに対し、篤胤が同様の評価を受けることはほとんどない。しかし神代文字の如き偽史的想像力の祖型としてみるならば、篤胤は近代日本にとって無視しがたい存在だと評価できよう。

 

永岡崇

自己増殖する偽史

竹内文献の旅と帝国日本―

 近代日本に現れた多くの偽史文献のなかでも、もっとも著名なのは竹内文献(天津教文献)であろう。保持者である天津教教主・竹内巨麿の語るところでは、この文献は越中国の天神人祖一神宮に長く伝えられてきた神宝であり、明治20年代に「発見」された。その後、昭和初期に酒井勝軍ら研究家や矢野祐太郎ら宗教家に注目され、時間的には記紀の記録よりもはるかに遡る超古代史文献として、空間的には世界大のスケールをもつ壮大な歴史史料として知られるにいたった。他方では、狩野亨吉に偽書の烙印を押され、竹内らが不敬罪で検挙されたこともあり、「トンデモ本」の代名詞といったイメージも定着している。

 本報告では、竹内文献が移動しながらさまざまなエージェントと出会い、多様なモノやメディアと結びつくことで新たな物語や信仰の地平を切り開いていく過程をたどり、偽史が生み出す近代的宗教文化の姿を浮かび上がらせる。さらに、同時代に活発な運動を展開し、弾圧を受けた大本や天理本道の事例も参照しながら、ファシズムへと傾斜する国家と異端的宗教の関係を再考したい。

 

近代日本政治思想史―荻生徂徠から網野善彦まで

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新宗教と総力戦―教祖以後を生きる―

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